イスラム教徒として言おう。「言論の自由」原理主義者の偽善にはもう、うんざりだ
http://www.huffingtonpost.jp/mehdi-hasan/charlie-hebdo_b_6476358.html
どうか冷静に考えてほしい。無制限の言論の自由を信じる者など誰もいない。私たちはみな、法と秩序のために越えてはならない一線があり、分別と慎みのために越えるべきでない一線もあることに合意している。私たちの唯一の違いは、どこでその線引きをするかなのだ。
むしろ私たちは、アフメドでありたいと思うべきだ。雑誌の存在の権利を守って殺害された、あのイスラム教徒の警察官に。小説家テユ・コールが言うように、「不道徳な言論の権利を、その内容に賛同したり、それを支援することなく、守ることは可能」なのだ。
「ムスリムに対する偏見」は、既にみなさん周知のように酷い状況なのは理解しているとは思う。
それを過剰に擁護する(例えば「彼らは殺されて当然。自業自得」のような)発言にも呆れ返っていると思う。
なぜ、「『表現の自由』を守る戦い」と、「テロリストとの戦い」が混同されるのだろうか。その分別は持っていたいと思う。
というか、「表現」自体が、既に「暴力を伴っている」ということを、何故、理解しないのでしょうな?(´・ω・`)