このあいだ書いたjituzonさんの 「疑問と課題」について。
改めて読んで、個人的に思った事、感じた事を。
(この間のエントリをブックマークされた人もいるみたいですので、それへの返信の意味もあったり)
また、まるっと引用して紹介。(項目の番号については、引用者がつけたものです)
「疑問と課題」
http://d.hatena.ne.jp/jituzon/20050830#1125373266
で、これを読んだ時に、まず思ったのが、
(1)なぜ一部の女性は自分が女であることを隠してテキストを書くのか
(2)テキストを読んでいて「男だと思っていたら女だった」(あるいはその逆)場合に驚きが生じるのはなぜか
(3)また、上記の驚きが生じたあとにテキストの見方が違ってくるのはなぜか
(4)女であることを前面に出して書くことの優位性はあるのか、ないのか
(5)女性の「非モテ」(転叫院氏の定義に基づく)はなぜ男性の目の敵にされるのか、女性の「非モテ」は存在可能なのか
(6)書き手の性別によってコメント欄への書き込み文体が異なる場合があるのはなぜか、また書き込んだ人の性別によって書き手が返信の内容を変えるのはなぜか
(7)書き手の性別はそんなにも読み手に影響を与えるものなのか
(8)ネット上での方がジェンダーに縛られている気がするのはなぜか
(9)男の文体、女の文体、中性的な文体……どれを使おうがそれは書き手の自由ではないのか
- 各項目に記載されている、「女性」「女」という文字を、「男性」「男」と置き換えては成立しないものなのか?
(5)に関しては、「非モテ」の定義が非対称のようなので、文字を替えてもなりたたないようなのですが、それ以外は「女」を「男」に取り替えても成り立つような気がします。(というか、転叫院氏の定義に基づく「非モテ」が、よくわからなかった。「非モテ」に男女差がないのか、男女対称なのか、非対称なのか。どういった要件を満たせば「非モテ」なのか、端的に説明しているものはないのか?)
ただ、ネット上は、現実社会よりも、男性社会である傾向が強いので、
一般的な言葉遣い=男性。
特殊な言葉遣い=女性。もしくは性別不詳。
という風にとらえられる傾向があるかもしれません。つまり、性別を明示せずに、ネット上で使われている一般的な言葉/言い回しを使うと、男性ととらえられ、それとは違う、一般的ではない言葉/言い回しを使うと、女性、もしくは性別不詳として見なされる、みたいな。
ただ、ここでいう「一般的な言葉」というのは、日常生活で使っている言葉や言い回しとは違います。ネット上では「サイレント・マジョリティ」が、一般社会と比較して多いと思われますので、むしろ、「数多く発言している人の言葉遣い」と思っていただければと。ごく少数の「数多く発言している人」の言葉遣いが、多くの人に読まれるがために、それがネット上での一般的な表現や言い回しであると思われてしまう、ということ。
そういった意味で、(8)は正しい、というか、そう思われてしまう傾向になるのかなぁ、と。
現実問題として、「声の大きい馬鹿が全体を動かす」ときがありますが、それ以上に「発言の多いバカの言語」が、ネット上の表現や思想の傾向を生み出していて、それに引きずられるように、一般表現も変化していってしまうところがあるかと。特に、特定の問題の中では、その問題に深く関わっている人間や、そのキーワードにコンプレックスを刺激されて反応してしまう人間等、より多く、その問題に関して発言を行う人間の言葉に流されてしまう傾向が強いかと思われます。
その流れの中で、「自分は○○である」ということを意識して何かを記述している人は、その言語にあまり流されないので、その意識している部分が、より表面に出てきてしまうのかなぁ、と。その意識している○○が、性別であろうが考え方であろうがスタンスであろうが。ただ、その「自分は○○である」という主張が極端すぎたりすると、「空気読め」とかつっこまれるわけで(笑)
では、書き手と読み手のどちらが、文章に対して性別を意識してしまうんだろうか。というか、これって、まず、「性別を感じさせないで文章を書く事/読む事が可能かどうか」という問題から考えてみるべきなのかなぁ、と。
人間に「無性別」という存在がない以上、ある文章は、意識的にせよ、無意識下にせよ、どちらかの性別の属性を持って認識されていると思うんですよ。それが、感情を含まないマニュアルのようなものであっても。
で、性別を強く意識させる/強調している文章でない限り、書き手も読み手も、おそらくは自分と同性の文章として受け止めるんではないかと。もしくはそのモノからイメージされる性別のものとして受け止めるのでは。例えば、読み手がマニュアルに男性のイメージを持っているのであれば、男性の文章として、マニュアルに記載されている内容を理解する、みたいな。前述のように「ネットは男性社会」のようなイメージを持っていれば、ネットの言葉は男性の言葉として受け止めてしまう、みたいな。
つまり、取り扱っている問題が、女性の間で話題になっている問題であれば、そこで男性を意識させる文章を書かない限り、男性が書いていたとしても、女性として認識されたり。男性が書いていても、女性が書くような文章のルールにのっとっていた場合は、女性の書き手と思われたり。もちろんその逆もあるだろうし。
また、性別の(イメージが)ハッキリした文章にしか触れてない人にとっては、その文章から「書き手の性別を表す記号」が読み取れない場合や、書き手のイメージと文章の内容の性別が混乱する時に、ものすごく、いらだちというか不安感というか、そういうものを想起させるのかなぁ、と。なので、「書き手の性別を知りたがったりする人」は、そういう混乱を解消したいので、書き手の性別を知りたがるのかなぁ、とも思うわけです。(もちろん、それ以外の目的で、「書き手の性別を知りたがる」場合があるのもわかってますってば(笑))
でも、結局は(9)で書かれているように、どういう文体で表現するかは書き手の自由だし、それを受け手がどう読むかは、受け手の問題でしょう。ちうか、性別が予想と違ったくらいで、びっくりするな、ってゆ〜か(笑) 何を期待してたんだ、ってゆ〜か(笑)
個人的には、実際の性別と、文章から受け取った性別が違ったからといって(「『違った』という事実」に驚く事はあるにせよ)、その人やその文章への評価が変わるわけではないし。事実としては、その人に関する情報に「性別」ってのが増えるくらいの問題だと思っているのですが、これは一般的な考え方ではないのですかね。
もちろん、情報が増えた事によって、その人への接し方が変わることは否めませんが、それは、「性別」に限らない話ですし。事実、ある人物の言動によって、その人物そのものを見る目が変わった事もありますし。
もっとも、ジェンダーの問題は、意識的に行っていることよりも、無意識下で行われていることを、どう無くしていくか、という点にあると思いますので、あたしも、常に気をつけなければいけないわけなのですが。
(一応、ジェンダーフリーを標榜しているつもりなんですけどねぇ。まだまだ修行は足りないみたいです)
なんか、結局、まとまらないままですが、jituzonさんの 「疑問と課題」を読んで、あたしが思ったのは、こんな感じのことだったりします。
jituzonさんは、TB先をあまり読まない、との事ですので、これがjituzonさんに読まれる事はないんだろうなぁ、と思いつつ、つらつらと書いてみました。
・・・もし、読まれた場合、この文章は、男性と思われるのか、女性と思われるのか(笑)