「積ん読病」治療のため、読みかけの本を読む事に。その第二弾。
奇蹟との対話(ISBN:4054019269)
この人の本は、「バチカンミステリー(ISBN:4198614687)」の方が先で、
で、「キリスト教」というキーワードつながりで、買ってみたんでしたが、未読で。
ようやっと、読みました。
向こうの人って、生まれてからずっと、キリスト教的なモノに触れているから、
その「キリスト教」的思想や発想から逃れることって、非常に力が必要なことなのかなぁ、と思った。
「無神論者」になるにしても、意識的に「神なんていない」と思わなければ、そうなれないような。
日本人が、「神様なんていないよ〜」と思っているよりも、より強く思わないと、それが維持できないような。
そんな、息苦しさを感じました。
奇蹟は起きて欲しいかもしれない。でもそれに頼るようになっては、ダメだと思う。
「神に祈れば願いが叶う」なんて、そんなんじゃダメだと思う。
天命は、人事を尽くしてこそのものであってほしい。
そんなことを思った。
あたしは、今の科学で解明できない事や説明のできない事はあって当然だと思ってるし、
奇蹟みたいな事が起きても、「そういうこともあるかもしれないね〜」と思う程度なんだけど、
キリスト教的な考えを刷り込まれた人や、そこから強い衝撃のもと、離れた人にとっては、
「奇蹟」という問題や、「科学で説明のつかない事」を受け入れるのに、こんなにも力がいるのか、と。
そして、信じている人は、こんなにも簡単に思考停止して受け入れてしまうのか、と。
だから、「ID理論」みたいな変な事を言い始める人が出てきちゃったりするのか、と。
そりゃ、一神教を信じてる人の間で、戦争、なくなるわけないわ。
なんてことを思った。偏見に満ちている考えなのは承知してますが。
しかし、消費する量よりも、本を購入するスピードの方が早いのはなぜなのだ・・・(;´Д⊂)ちっとも減らないよぅ。