思った事を書いているうちに、長くなったので、今日はこれのみ。
基本的に拙い知識で書いているので、間違いや気に入らない点が多々あると思います(まさに「ダ・ヴィンチ・コード」のように(笑))。そういう点がありましたら、コメント欄なりなんなりで罵倒してくださってけっこうです。
つーか、それ以前に、こんなツッコミを書く、あたしも「野暮」だなぁと思うんですけどね(笑)
で。
なんか、昨日の夜のNHK-BSの海外ニュースの紹介でも、映画「ダ・ヴィンチ・コード」の話が出てたんですが。
昨日も引用しましたけど、
まぁ、これと同じような事を言っていたわけですけど。
一方、作品はこれまで世界各地で物議を醸してきた。大学教授(トム・ハンクス)と暗号解読官の女性(オドレイ・トトゥ)が、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画に隠されたキリスト教の闇の歴史を探るミステリー。キリストがマグダラのマリアとの間に子どもをもうけ、その血筋が続いている物語が波紋を呼んだ。
また、カトリック側は、こんな事をしているみたいなんですが。
司教達がダ・ヴィンチ・コードに反論するサイトを発表
http://library666.seesaa.net/article/15005566.html
いやぁ、理解できない。さっぱり理解できない。
「あれは神への冒涜だ」とかって主張している人の、「どこが神への冒涜なのか」の理由がさっぱり理解できない。ってか、何の説明もなく「冒涜だ」って言ってるだけだから、理解しようにもできないんだけど。
「キリストに子供がいた」と推測して、それを表現することのどこが「神への冒涜」になるんだ?
別に「子を生す事」は間違った行為でも罪悪でもなんでもないだろ?
むしろ、カトリックは、「避妊具」を自然ではないとして排斥しているくらいなんだし。
それを、神である「父と子と精霊」の「子」であるイエスが、「マグダラのマリア」と子を生すというストーリーが、なんで、「神への冒涜」になるんだ?
イエスは、「罪の女」であった「マグダラのマリア」ですら許す心の広い人物だぞ?
しかも、「マグダラのマリア」自身も聖人じゃないか。一説によれば、イエスの弟子じゃないか。聖人は子を生しちゃしちゃいけないってか。
許した相手と互いに愛し合って子を生す事は、「姦淫」だってのか。それは「神の愛」ではないのか。「至高の愛」ではないのか。「マグダラのマリアが汚れてる」とでもいうのか。行為そのものが汚れだってのか。さっぱり理解できない。
・・・まぁ、理解できないのも、あたしが、神道と仏教を許容してる(信じてる、ではない)からだろうね。
神道においては、神様同士が結婚して子を成した結果、日本って国が出来てるし。その後、神様同士騙し合ったり殺し合ったりむちゃくちゃしてるし。道祖神なんか、馬から下りて挨拶しなかっただけでその人を殺しちゃったりするし。
仏教は、そもそもその開祖たるお釈迦様が、悟る前だけど、結婚して子供作ってるからねぇ。それでも解脱できたんだし。
つーか、仏教は、「他者のために行う自己犠牲(自殺)」すら肯定しているからなぁ。断食による入滅や、「空腹の人に自らの身体を火の中に投げ込んで食べさせるうさぎ」という仏教説話とかありますからねぇ。
で、仏教において「煩悩」と表現されている強い誘惑は、確かに強い誘惑ではあるけれど、その「誘惑」自体は罪じゃない。その「誘惑に負けること」が罪という認識だと思ってるんですが。(例えば、仏教において「お酒を飲むな」という戒律は、「お酒が悪い」のではなく、「お酒を飲んだ事によって乱れる事が悪い」から、お酒を飲む事を禁じている、って事のはず。)
んで、その誘惑に一時負けても、それを悔い改めれば問題ない、とする立場だしなぁ。(「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや」ですな。これは浄土真宗の考えですが。)
一度罪を犯した人は、二度とその罪から逃れられずに「罪人」の烙印が押され、一生、罪人のままでいるのではなく、悔悛の機会が与えられてるんだけどねぇ。たいていの宗教は。
(中世ヨーロッパで流行ったお金で買える「免罪符」とは別の話ですよ。あれは、腐敗した教会が行った、「堕ちたキリスト教」を代表する唾棄すべき行為の一つでしょうから。)
つーか、あたしが理解できないのが、なぜ、キリスト教(カトリック限定かなぁ?)において、「神の子が、人と同じ事をする」のが、「神への冒涜」になるのか、というところ。
神の子イエスは、その世界を、その罪の行為を許すために、一人罪を背負うために、「人として」神から遣わされたんだろうに。(「三位一体」による「子」としてのイエスは、「神の言葉を伝える(ロゴスとしての)」「人間としてのイエス」を示していたはず)
「罪ある人間」の行為を見、その行いを諭し、それを許する事こそが、神に遣わされたイエスの「罪を許す行為」でしょうに。
昔、「最後の誘惑」って映画でも同じような、「神への冒涜だ」みたいな物議を醸し出したけどさ。
なんか、怒っている人にとっては、イエスを「一人の人間」として描く事、それ自体が「冒涜」と感じるみたいですね。
・・・それって、「イエスの教え」をどう解釈するとそうなるんだか。
「父」たる「神」そのものや「精霊」を、人と同列に扱ったのならまだしも、「子」としての「人間イエス」を、人間として捉えて何が問題あるのか。
そんな事言ったら、「偽証してはいけないこと」という十戒を守らずに、「イエスなんて知らない」と否認したペテロなんて、その後の悔悛があって、ローマに向かったけれども、「イエスを守らなかった罪人」として、真っ先に批判されてしかるべきじゃないか。(殉教したからチャラ、ってわけでもあるまいに。)
イエス自身も、聖書の中で、「嘘をついてる」ことが書かれているし。(「イエスは祭りに行くつもりはないといっているが、兄弟たちが行った後でひそかに行く。」ヨハネの福音書より。)
これなんて、十戒の「偽証するなかれ」に思いっきりひっかかってるじゃないか。「神の子」たるイエス自身が、当時の戒律である十戒を守ってないぞ(笑)
それとも、マグダラのマリアとの関係は、姦淫だったってのか。それこそ、そう解釈する事自体がイエスを侮辱しているよ。イエスは、その愛をもって、マグダラのマリアを愛したのかもしれないのに。
・・・まぁ、あたし自身が読んでもいないフィクション小説と、それを取り巻く状況について、どのように扱われているのか、あれこれ言ってもしょうがないんだけどね。読まないとダメ? 同じフィクションなら、今は、どっちかつーと、荒山徹の小説が読みたいんだけど(笑)
パロってるわけでも、茶化してるわけでも、馬鹿にしているわけでもなく、「一人の人間としてのイエス」を描く事がタブーだなんて、どっかおかしいと思うわけですよ。歴史上の人物を、その伝聞に則って、そして想像力を働かせて表現する事が、「気に入らないから」という理由で「冒涜だ!」なんて言われるなんて。
カトリックの考えに詳しい方、なぜ、「キリストに子供がいる事が、神への冒涜になるのか」を教えてくださいな。
ファンダメンタリストになる気はないけれど、新約聖書の記述を解釈する限り、それが冒涜になる理由がさっぱり理解できないんだけど。(まぁ、新約聖書を全部読破したわけじゃないけどね。福音は全部読んだと思うけど、「使徒言行録」「使徒書簡」あたりは何言ってんだかわかんなくなって、途中で挫折した記憶が・・・。)
カトリックにおいては、「子を生す事」は罪なのですか。「神の子が子を生す」ことは、神を冒涜する行為なんですか?
さっぱり理解できない。
あたしの場合、「キリスト教におけるイエス」と「ナザレのイエス」を同じものとして見ているからなのかなぁ。
歴史上に存在した一個人としての「ナザレのイエス」の物語、ってことなら、納得するのかねぇ?
それでも「冒涜だ!」って言ってきそうな気がするんだよなぁ。想像できちゃう時点で、「なんだかなぁ」って気持ちになる。
・・・もちろん、その子孫を「神の子孫」として祭り上げ、神聖視するのも、おかしな事だとは思うけどね。
ああ、そこの意識の違いか。あたしは、お釈迦さんもイエスさんもムハンマドさんも、一人の人間として見なしているけど、根っからのキリスト教徒にとっては、「イエス」という存在は、人間ではなく、「不可侵の絶対的存在」なのか。
それが、一人の人間と同等に扱われる事が、気に入らない、そういう扱いは侮辱だ、って事なのか。
・・・つまりは、そういうこと?
なんか、そういうのって、「人間イエス」が、後世に「キリスト教」と呼ばれる思想にたどり着いた業績を馬鹿にしているというか、「神の子なんだからそういう考えになるのは当たり前」と、その考えに到達した知性や努力を否定している感じがして、そっちの考えの方が気持ち悪いなぁ。
まぁ、あのフィクションにマジになって反論しているのはごく一部だと思いたいけどねぇ。
/.Jのトピック、
「ダ・ヴィンチ・コード」でソニー製品不買運動?
http://slashdot.jp/articles/06/05/19/018212.shtml
のコメントよると、キリスト教学では、「キリストは妻帯者」という説もあるそうで。
・・・なら、いったい、何が「冒涜的」なんだろうか?
やっぱり、原作を読まないとダメかねぇ? どうも、「ベストセラー」って読む気になれないんだけど・・・。
少し、まともにキリスト教のお勉強でもしましょうかね。
とりあえず、新約聖書も改めて読み直してみるか・・・。
復職予定の7月まで時間はあるしねぇ・・・。
ちなみに、世界ではこんな事になってます。
「ダ・ヴィンチ・コード」の上映、アジア各地で波紋
http://www.asahi.com/international/update/0519/006.html
旧ソ連圏、ハンストで抗議 ダ・ヴィンチ・コード上映に
http://www.asahi.com/international/update/0519/003.html
タイ検閲委、「ダ・ヴィンチ・コード」のラスト10分間削除命令=会社側は異議申立
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1971630/detail
ソニー製品を買うな 「ダ・ヴィンチ・コード」抗議
http://www.sankei.co.jp/news/060518/kok096.htm
こんな状況じゃ、モンティ・パイソンの「ライフ・オブ・ブライアン」の日本語字幕付きDVDリリースも、しばらく期待できないかなぁ・・・。