かつて、シオドア・スタージョンはこういった。
「SFの90%はクズである。ただし、あらゆるものの90%はクズである」
と。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%83%89%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3
これは逆説的にはこう言える。
「どんなものにでも10%程度はいいものもある」
と。
実際問題、エロマンガの90%、いや、99%は「単なるエロ画」の、ストーリーもない、単なるクズだと思う。マジな話。これが。奥さん。実際のところ。
でも、たとえ「エロマンガ」であっても、心揺さぶられる話もあったりするのだ。不思議な事に。本当に不思議だけれど。本当に不思議なんだが、それが実在するのも事実。
・・・まぁ、それに似た、同じような物語を、なんとか文章に出来ないか、で悩んでいるわけですが。画だと表現しやすいけど、文章で表現するのが非常に難しい。まぁ、また、その逆もあるわけだがね。あー、ちくしょう。あの切なさを文章にするのは、かなりの力量が必要だぞ。画だと楽なんだが、文章では難しいぞ、マジで。マンガ(画付き)だと、まだ表現しやすいんだがなぁ。
90%のクズを読むのを「単なる時間の無駄」ととるか、「残り10%を見るための試金石」と考えるか。
人それぞれでいいと思うが、自分は、可能であれば後者でありたい、と思う。10%の輝きが見れるのなら、90%無駄に時間を費やしてもいいじゃないの。最後に輝きに辿り着ければ、それでいいじゃないの。その10%が見れるのなら、90%を読む時間は無駄じゃなかったと思うの。
・・・なんて事を思った。