あたしは、絶望して絶望して絶望して絶望した結果としての、
「もう、どうでもいいじゃん」
という考えなのだ。だから、普通ならしないであろうことも「どうでもいい」からしてみたりしたのだ。不思議なことに、結果的に「勝利」「あたしの思った通り」と、何故か結果的には思った通り/あたしに有利な結果になっているのだけれども。
でも、そんなのが続いているのは「単なる偶然」。いつか、足下をすくわれる。すくわれたら、あっちの道を選択すればいい。そんなつもりで生きている。決して、「諦めない」という執着心でしがみついているんじゃないんだよ。「どーにもならなきゃ、アレを選択すればいいんだろ?」という、諦観があって、それが根本にあって、その上で、「なら、それは最後に選択すればいいか」という気持ちの上で、まずは他の選択肢を「試している」。アレはいつでも選択できるのだから。それだけのことなのだ。どうにもならなきゃ最後にはアレを選択するんだから、「それまで、色々遊んでみよう」という、かなり捨て鉢な考えで、アレ以外の行動をしているに過ぎない。そんな考えなんですよ。
・・・なんてことは、どうにも、普通の人は考えないらしい。やっぱり、あたしは、どこか「頭がおかしい」らしい(´・ω・`)
というか、「こんなことにも思い至らない奴は『アホ』」と、結構本気で思っている。ナチュラルに過ごしていて、こういう考えに思い至らない奴は、あたし程度の「絶望」には「まったくもって」追い込まれていない「幸せな人生」をおくっている人なんだろうな。多分(´・ω・`)ああ、平和でいいね。でも「うらやましい」なんて露程も思わないかな。だって、その人がもっている感覚って、「他人の苦しみが想像できない」ってのと同義だと思うよ。「他人の絶望が理解できないの」って。もちろん、「経験しなくても想像で理解できる」ってなら話は別だけれども、「うつ病」がどういう状態なのか、健常人が理解できるとは思えない(´・ω・`)そういうことも彼らは理解してなさそう。
なんていう「基地外」の妄想を垂れ流してみた。基本的にこういう考えなのは昔から変わってない。だから「ヤケになって知らない人を殺す」というここ最近起きている「死刑希望者」の犯罪の発想が、逆に理解できないのだ。「ヤケ」になったら、「恨みつらみのある奴」を殺す方がいいじゃん。しかも「嬲り殺し」にした方がいいじゃん。関係ない人を殺しても、なんにもならないだろうに。それでスッキリするんかね?(´・ω・`)「ヤケ」になるくらいに「嫌な奴」が具体的な対象としているんじゃないのか?そういう対象がいないなら、「I can fly!」で十分だろ。「自分が生きた証明」を「誰とも知らない誰か」の命を奪うことでしか証明できない、と思ってしまったのかねぇ?某宅間死刑囚は、どうにもそんなことを言っていたみたいだが。