いわん がネット上のNEWSを元に好きなことを書いてるだけの日記です。

間違いや誤解があっても怒らないでね。

記述内容の誤りへのご指摘とか、誤解に対するお怒り、リンクの削除依頼等は

コメントかメールで。メアドはプロフィールに書いてあります。


よく見えないところがある。



[blog]これはもはや「逆ラブハラスメント」?(上)

http://d.hatena.ne.jp/Leiermann/20050910/p1


えっと、なんか、


(「恋愛至上主義」の)枠の外にいる人は無論沢山いるが、とかく枠の中に届く言葉を語っている人は非常に少ないのだ。



とのことなのなので、一応、本人は枠の外のつもりなので、僭越ながら意見なんかを述べたり。この言葉が、中に届くかどうかもわかりませんが。

しかも、「ラブハラスメント」という言葉とは直接関係のない話だったりもします。

以前のエントリで、

「『非モテ』で騒いでいる一部の自称『非モテ』は、『恋愛至上主義者』ではないのか?」

ってことを書きましたが、

もし、そうなのなら、よく見えない点があるんですよ。

まぁ、前のエントリで書いたことそのままなんですが。

一部の自称「非モテ」が、「恋愛至上主義」に囚われているのなら、まず、彼らはそのことを認識してるのか?

認識した上で、「恋愛至上主義」を捨てる意識を持っているのか。そこから脱却することに苦しんでいる「非モテ」なのか?

そうではなくて、自分が「恋愛至上主義」に囚われていることに気づいていなくて、「非モテ」ということにのみ苦しんでいるのか?

前者であるのなら、何もいう言葉を持ちません。それを捨てるのは、他の価値観に気づいて、その、見つけた他の価値観に移行するか、よりメタな価値観を見つけて、そこに脱却するかしかないでしょう。それはものすごく力のいることだと思います。

後者であるのなら、まずは、自分が恋愛至上主義者であることを認識する、認めることから始めるべきなのかな、と。

そして、自分が囚われている問題を直視して、それからの脱却を企てること。

でも、それに気が付いていても、「やっぱり『恋愛至上主義』は捨てられない」「非モテは嫌だ」「モテになりたいんだ」というのなら、別の方向の覚悟を決めるしかない。

その捨てられない価値観の中で、勝つ努力をすること。すなわち、「モテ」になるよう努力すること。

「外見から変えよう」だとか、「内面を磨け」だとか、これまで言われてきた方法を実践して、すこしでも「モテ」に近づくこと。

好きな子がいればなおさら、その子の好きなことの情報を集めて、さりげなく、その話題を振ってみる、だとか。

一部の「非モテ」がDQNと呼んでいる人たちの恋愛メソッドをまねしてもいい。

それもしないで、「恋愛至上主義は捨てられないから、誰か自分を愛せ。自分をモテにしろ」ってのは、ちょっと何か違うと思いませんか?



「恋愛」ではない、「○○至上主義」に囚われている人で、同じようなことを悩んでいる人を見たら、たぶん、「非モテ」の人も、あたしと同じように考えると思うんですよ。

「『○○至上主義』なんて、そんなのに(そこまで)こだわらなくたっていいじゃないか」と。

(「○○」には、「学歴」とか「健康」とか「マスコミ」とか「容姿」とか、オタクのこだわっているものとか、イロイロ入れてみると、自分が囚われている問題が、第三者的にはどう見えるか、よくわかる。)

恋愛至上主義に囚われている人」は、「非モテ」という事実ではなく、「恋愛至上主義」から逃れられない苦しみと戦ってるんですよね。



これは、「非モテ」全体についてではなく、一部の自称「非モテ」に対して思ったことなんですけどね。

避モテ」になるくらいまでイロイロあった人や、そのことについて、言い出せないくらい深刻なトラウマを抱えている人には、あたしは何も言えません。そういう人たちに対して、「非モテは〜」という感じで、全体としてまとめて表現した言葉を伝えても、その言葉に意味はないから。抱えている問題は一人一人違うのだから、全体論で解消できる問題じゃないだろうし。「非モテはこうすればモテになる!」みたいなまとめて解決可能な魔法の言葉なんてそもそも存在しないし。個別に話せば、かけられる言葉もあるかもしれないけど。

ただ、一部に、本当にただ「動いていない」「失敗から学ばない」だけのように見受けられる人がいるので、それは、自分自身と向き合って克服しようとしている「非モテ」にとっても、迷惑な存在のような気がするのよ。

非モテ」界隈から、「非モテ」という言葉の、その意味や定義を決める議論とかが持ち上がるとありがたいんですけどねぇ。でも、誰も切り出さず、「わたしは『非モテ』だ」って主張してる人が多いですよねぇ。

「非モテ」界隈の整理をしようとする試みはありますが。

非モテMAP

http://scarecrowbone.main.jp/archives/2005/09/map.html






・・・ってのが、「恋愛至上主義者」ではないと思っている一人からの、「非モテ論争」を見ていて感じることだったりする。

いろんな「非モテ」が、それぞれ「非モテ」という、同じ言葉でも意味の違う言葉を、あたかも共通認識であるように使っていることが問題なのかなぁ、と。

しかも、それぞれが、「自分こそは『非モテ』だ」と信じているから、「非モテ」界隈でもお互いに誤解し合っている感は否めないですね。



以前のエントリに書いたとおり、あたしも「非モテ」の類であることを断っておきます。「恋人いない暦=年齢」ですし。

ただ、「恋愛至上主義者」ではないので、特に「モテ」になる必要を感じず、「モテになる努力」は意識的には何もしてません。

好きな相手ができたときに、その人と会ったり話したりできるように、そういう機会を意図的に増やす努力はしますけれど。

地道に(1年とかそういう単位で)やっているうちに、結果、ある程度笑い話ができる程度までは近づけるようにはなりますが、それだけ。でも、人によっては、ここまで来れるのってのも「モテ」になるんでしょ? 本人は「モテ」のつもり全然ないんですけどね。

まずは、「非モテ」界隈から、「非モテ」界隈における、「非モテ」の定義を話し合った方がいいんじゃないでしょうかねぇ。でないと、「非モテ」の中でも無駄な諍い(宗教論争?)がおきかねないし。





ファイナルファンタジーXIに関する著作権は株式会社スクウェア・エニックスに帰属します。

株式会社スクウェア・エニックスにおける著作物の利用ガイドラインは、こちらをご参照ください。

※このホームページで公開しているものは個人の趣味の範疇のもので、販売等を目的にはしておりません。


当ホームページに記載されている会社名・製品名・システム名などは、各社の登録商標、もしくは商標です。

Copyright (C) 2004 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.