id:amiyoshidaさんの日日ノ日キより。
孫引きになるのだが。
この言葉が、ちょっと、哀しかった。(吉田アミさんを非難しているわけじゃありません。念のため)
「色彩を愛しなさい。そのなかから選びなさい。とにかく愛しているものと仕事をしなさい。愛している人びと、愛している対象。それを好きな色をとおして表現しなさい」
あたしは、「赤緑色弱」という先天的なモノ(異常とは呼びたくないので「モノ」と書く)を持って生きている。
ので、どうやら、世間の大半が見ている色彩の世界とは違う色彩の中に住んでいるらしい。(自分ではわからないし、他の人の色彩世界なんて想像もできないんだが。)
もちろん、日常生活的にこれが原因で困ったことはないし、不自由もしてないのだが。車の免許も持ってるし。
でも、自分以外の他の人が識別できるものを識別できないのは、少し哀しい。
「色彩を愛せ」と言われても、他の人より愛せないかもしれないのだ。その「色彩」が判別が出来ないために。
赤と緑に関して、詳細なディテール(二重表現だけど、この言葉が浮かんだ)がわからないから。
逆に、あたしが見ている色彩世界を、他の人は想像できないと思うから、その意味で「お互い様」だとは思うけど。
でも、個人的に、自分は「赤緑色弱」で良かったと思っている。
世間が「普通」と感じている事は、大多数にとっての「普通」でしかなく、その価値観は絶対ではないという視点を持つきっかけの一つになったから。
ちなみに、あたしは、左利きでもあるので、今の社会が、「右利きが普通と思っている」社会だと認識している。自分が左利きである事も、社会的価値観が絶対的ではないと思ったきっかけの一つだ。
細かな身体的な不利が、逆に、この社会が、「自分たちが『普通』だと思ってる人たちが作り上げた『身勝手な』社会」だと認識させてくれた。
端から見ても明らかにわかるような障碍であったのなら、その、自分が持っている不利に関しての立場でしか考えられなかったかもしれない。
「そのままでも問題はないのだが、微妙に自分に不利な社会」という点があったので、社会を俯瞰して見る視点を持つ事が出来たと思っている。そういう視点を持つ事が出来たのは、この先天的なモノが一つの理由としてあると思ってる。
そういう視点を持つ事が出来たから、
できるだけ、自分ではどうにもならない部分で不利をかこっている人には手を差し伸べてあげたいし、
逆に、有利な状態なのに、自分が動かないだけで、不満を社会に訴えている人間は馬鹿にしたくなる。
「おまえら、あたしから見たら『普通』に属してるのに、なにやってんだ?」と。
わかりたくてもわかりえない状況の人たちががんばっているのに、何、ふてくされてるんだ、と。
上記引用の文章を読んで、ふと、こんなことを書きたくなった。
かなり前から持っている意識なので、個人的には「いまさら」なことなんだけど、この「はてな」の日記では書いた記憶が無いので、とりあえず、書いておこうと思った。
「特殊」なことは「卑下される」ことじゃない。「非難される」ことでもない。「他の人とは違う世界を見る事が出来る」ことなんだと。
あたしは、そう思って生きてます。とりあえずね(笑)