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すごい「違和感」。

「まだ震えが止まらない」――初音ミク初の米国ライブで何が起きたのか

http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1107/03/news001.html


この「違和感」は、どう伝えたらいいんだろうか。「異質感」とでも表現できるんだろうか。

これを「ライブ」と言ってしまう、そしてそれを認めてしまうことに違和感。

「ボーカルだけ事前録音した音」で、それに合わせて「楽器を弾く」という行為が、果たして「ライブ」なのだろうか?

この「コンサート」に、インタラクティブ性をまったく感じない。「フィルム・コンサート」との違いがよくわからない。

確かに、一方向的に流れてくるメディアに感動する事はおかしくはない。既存のメディア、例えばTVや映画なんてそういう作りになっているのだから。その一方向性だけを根拠に批判をする気はない。

ただ、これを「ライブ」という行為として認めることに違和感を感じる。果たして、何人の観客が、「これらの楽曲を作った人達」をリスペクトしているのか。演奏者をリスペクトしているのか。

初音ミク」という記号のみに「酔いしれる」ということは、それらを使って楽曲を作った人達の存在を忘れているように見える。それは、「初音ミク」という「ボーカロイド・ソフトウェア」が望んでいた方向性とは真逆な気がして仕方がないのだ。

VOCALOID2 HATSUNE MIKU

VOCALOID2 HATSUNE MIKU



amazonで「初音ミク」を検索しても、いろんな派生物の大元である、この「ソフトウェア」がトップにヒットしない。それが何を意味するのか。どういう現実を表しているのか。観客は何に熱狂し、何にリスペクトしているのか。この流れに熱狂する前に、この状況を冷静に考えてみる必要があると思う。

歌っている曲に感動しているのか、透過スクリーンでステージパフォーマンスをしている「初音ミク」という記号の動きに盛り上がっているのか。この二つは、表層は似ていても、その根底にある思想は全然違う、ということに、ファンは気づいているのだろうか。おそらくは、「初音ミク」という記号のビジュアル、ステージの動きに魅了され、「彼女に似合う曲」を作った楽曲制作者へのリスペクトは今回のイベントの観客の中に微塵もないだろう。これが「ボーカロイド」開発者の望んだ世界なのだろうか。個人的には「No!」と表明する。これは、ファンの行動として、色々な意味で「狂っている」現象である。

これは、「楽曲作成者」にとって、なんの利益還元もない「音楽業界の衰退」を加速する出来事の一つと認識する。

これを手放しで喜んでいる連中は、「音楽」という「文化」の継続性を全く考えていない頭の悪い連中、と言っても良いだろう。

この問題を真摯な意味で語れるのは実際に楽曲を作っている「音楽クリエイター」だけだ。単なる消費者に「ミクは神」と言わせる状況は、音楽業界の崩壊の序曲であろう。音楽業界は「消費者の無知蒙昧な行動」によって、理解されずに記号化したペルソナ、アイドル性(これは音楽性とは全く関係がない)の歌を「良い歌」と認識して優先し、「曲そのもの」の評価すらできない連中によって、早晩、衰退するであろう。

・・・この予測が外れてくれる事を願わずにはいられない。




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