今読んでいる本。
正直、苦痛。さっぱり進まない。
なにが「苦痛」って、引用されている、ラカンやクリステヴァの文章が、
「論理的に何を説明しようとしているのか、そもそも言葉も文章も、きちんと成立していない」
ので、意味自体が理解が出来ない。それらの問題点を説明しているソーカルらの文章はわかりやすくて明快なんですけどね。
・・・あのさ、失礼を承知で、ぶっちゃけ言うとさ、
「ラカンとか読んで、何かを知った気になってる奴って、実際は、『何もわかってないバカ』だろ」
少なくともラカンは、論理的でも科学的でもない、「衒学的電波文」以外の何ものでもない。
つまり、下品な言い方をすれば、
「難しい科学系テクニカルタームを、『俺様用語』として文章に織り交ぜている、自己満足のためだけのオナニー文」
だ。
それを下敷きにして展開している後代の哲学理論も同じね。「ガベージイン、ガベージアウト」です。ゴミ理論(ラカンはまともな理論ですらないが)からは、ゴミの結論しか生み出せない。それを下敷きにして発展させたものも同様。
ラカンを読んで「何かを知った気になってる」のって、かなりヤヴァい人だと思いますよ。正直言ってね。
・・・自分の周りには、かろうじて存在しないので、平和な生活をおくれていますがね。
あたしは、フロイト(自分の欲望を反映しているだけだな)→ラカン(何言ってんだ、こいつ?)→ユング(あぁ、わかりやすい)と進んでいるので、ラカン以降の精神分析学から派生した現代哲学思想はよく知らないのですが、この本を読んで、
「ラカン以降、ラカンに影響を受けた人物の哲学思想は、知る必要も無いゴミ思想である」
という認識に至りました。
学生時代にラカンが理解できなかったのは、あたしの理解力不足ではなく(もちろん、それもあるだろうけど)、「ラカンの文章がむちゃくちゃだった」から、だったんですねぇ。