生きてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよさんより。
[memo] 疑問と課題
http://d.hatena.ne.jp/jituzon/20050830#1125373266
まるっと引用して紹介。
これって、「女性」「女」って言葉を「男性」「男」と置き換えては成立しないものなんですかねぇ?
・なぜ一部の女性は自分が女であることを隠してテキストを書くのか
・テキストを読んでいて「男だと思っていたら女だった」(あるいはその逆)場合に驚きが生じるのはなぜか
・また、上記の驚きが生じたあとにテキストの見方が違ってくるのはなぜか
・女であることを前面に出して書くことの優位性はあるのか、ないのか
・女性の「非モテ」(転叫院氏の定義に基づく)はなぜ男性の目の敵にされるのか、女性の「非モテ」は存在可能なのか
・書き手の性別によってコメント欄への書き込み文体が異なる場合があるのはなぜか、また書き込んだ人の性別によって書き手が返信の内容を変えるのはなぜか
・書き手の性別はそんなにも読み手に影響を与えるものなのか
・ネット上での方がジェンダーに縛られている気がするのはなぜか
・男の文体、女の文体、中性的な文体……どれを使おうがそれは書き手の自由ではないのか
(まぁ、「非モテ」の部分は、男性の自称「非モテ」と、女性の自称「非モテ」の、ネットでの行動に大きな差異があるようなので、単純に置き換えては成立しないようですが)
意図的に女性としてふるまっている、いわゆる「ネカマ」は除くとしても、ネット上でテキストを書く人って、そんなに自分の性別を強く意識して書いているものなんだろうか?
「無意識で書いていて、男女差別も甚だしい内容」のものがあるのも理解してますが、何かを議論する場合の文章には、(いい意味でも、悪い意味でも)性別を感じないような気がしたので。(その「内容」で、性別がわかる場合もあるみたいですけれど)
あたしの場合、書き込み先の相手の性別がわかっていれば、そのことを意識して、書く文章が変化していると思います。どっちかって〜と、意識的に変えよう、とは思わなくても、自然に変わっているような。それは、「ネットでしか関わりのない人」と「リアルでも関わりのある人」で、同じ内容を伝えるにしても、その記述方法が変わってくるのに似ています。
つまり、「その人をどれだけ知っているか」によって、言うべき言葉を変えている、とでも言えばいいんでしょうか。まぁ、綺麗ごとではありますが。
もっとも、訓練によって、「その人の言いたい内容」だけを理解して、その他装飾的な文章を意識しない、ということもある程度は可能ですので、そのように文章を理解していく人にとっては、文章での性差というものは意味がないものかとは思います。
最後の「男の文体、女の文体、中性的な文体……どれを使おうがそれは書き手の自由ではないのか」は、まさにその通りで、生まれながらの性別で、その人の文体が決められることなぞありえないでしょう。文章に求められているモノは、書き手の性別を決定することなどではないのですから。
なんか、全然中途半端なままですが、そんなことを思いました。
これを知ったのは、ネコプロトコルさんのエントリから。
[追記]2005/09/01 02:14
上に書いた記述では、「ネット上でテキストを書く人って、そんなに自分の性別を強く意識して書いているものなんだろうか?」と疑問を提示しましたが、これに対して、書く側(表現する側)だけの問題では無く、「受け手が、能動的に『これを書いているのは、男性なんだろうか/女性なんだろうか』という、書き手の性別を、書き手の意図・要望によらずに、想像してしまうことがあるのではないか」と、いうもう一つの疑問を提示しておきます。
書き手よりも、読み手(受け手)が、その文章から、性別を(意識的にせよ、無意識的にせよ)想像してしまっている部分があることは、否定出来ないかなぁ、と。
その「想像の産物」によって、受け手側の反応・言説が変わるとこも十分にあり得るだろうし。
書き手と受け手、どちらが文章から想像できる性別に踊らされているのかなぁ、というと、個人的には、受け手側なんだろうなぁ、と思ったり。
文章、まとまってませんが、この辺で。
明日当たり、自分の書いたものも含めて読み直して、整理したいと思います。
[追記]2005/09/02 18:15
改めて、読み直して、考え直して、書き直してみた。あんまり変わってないけど。
http://d.hatena.ne.jp/Ivan_Wisky/20050902#p6